日本とクラシック音楽の物語

黒船が運んだ音楽 ―― 西洋の音が、はじめて日本に鳴り響いた日

音楽って、不思議なものだと思うんです。言葉も、習慣も、何もかも違う。それでも音は、人の心に届いてしまう。今日は、この国の音楽史の出発点から、少しずつ話を始めさせてください。

甲板から聞こえてきた、聞いたこともない音

1853年7月、ペリー提督が率いるアメリカの蒸気船4隻が浦賀沖に現れたとき、江戸の人々はその黒い艦体に震えあがりました。史書にはその威圧ばかりが記されていますが、もう少し耳を澄ませると、甲板の上からは見慣れない楽器の音が聞こえていたといいます。

トランペット、クラリネット、太鼓。アメリカ海軍の軍楽隊が、行進曲を演奏していた。異国の制服を身にまとった演奏家たちの音が、水面を渡って、この国の岸辺に届いた。幕府の記録にはそれを「異様な楽器の音」と記した一節があります。きっとそれは、驚きであり、戸惑いであり――言葉にはしにくい、何か不思議な胸の動きだったでしょう。

音楽というのは、そういうものだと思うんですよね。理屈より先に、体に入ってくる。あの夏、黒船の甲板から聞こえてきた音が、日本の音楽史の扉をこじ開けた最初の一音だったのかもしれません。

翌年1854年、日米和親条約の締結に際してペリーは日本側への贈り物として小型のオルガンやピアノを持参したとも伝わっています。この国に西洋の楽器が「正式に」上陸した最初の場面のひとつでした。

港町・横浜で生まれた、西洋音楽の拠点

1859年、横浜が開港しました。幕府が指定したこの地には急速に外国人居留地が形成され、商人、外交官、宣教師――さまざまな国から人々が集まり、彼らはそれぞれの文化を持ち込んだ。

教会ではオルガンが鳴り、夜のパーティーでは弦楽器がダンス音楽を奏でた。居留地にはやがてアマチュアの外国人演奏家たちが集まって演奏会を開くようにもなります。江戸から明治へと時代が変わるなか、横浜はこの国における西洋音楽の最初の拠点でした。

そして1869年ごろ、ひとりのイギリス人軍楽隊長がここにやってきます。ジョン・ウィリアム・フェントンです。彼は日本の軍楽隊員たちに西洋式の演奏を教えながら、ある大事な仕事を引き受けました。日本の国歌「君が代」に、最初のメロディをつけたのです。1870年のことです。

何百年も詠み継がれてきた和歌の言葉に、西洋のハーモニーが初めて重なった瞬間。あの曲を聴くたびに、私はそのことを思います。

銀座にピアノが並んだ日

文明開化の波は、やがて首都・東京にも押し寄せます。洋装の男女が行き交う銀座の街には、ピアノを扱う楽器店が姿を現すようになりました。

明治の銀座に、ピアノの店がある。武士の世が終わって間もない時代、まだ多くの人が畳の上で暮らしていた時代に、黒くつやつやした鍵盤楽器が街に並んでいた。その光景を想像すると、私はいつも少し胸が熱くなるんです。

恐る恐る鍵を叩いてみた誰かがいたはずです。そこから出てきた音に、目を丸くした誰かがいたはずです。国家の政策というより、人々の好奇心と憧れが、この国に西洋音楽の種を蒔いた時代だったと思います。

これが、日本とクラシック音楽の物語の始まりです。次回は、明治政府が「音楽を国家の手で育てよう」と本腰を入れ始める話を。西洋から招かれた先生たちと、東京音楽学校誕生の物語です。