連載もいよいよ終盤!「夢」と「音楽」の普遍的な物語へ
皆さん、こんにちは!『クラシックのミカタ』専属ライターの真島です。この連載「映画とクラシック音楽」も、いよいよ第18話。全20話ですから、残すところあとわずかとなってきましたね。毎回、様々な角度から映画と音楽の関係を探ってきましたが、終盤に差し掛かり、今回は少し趣の異なる作品を取り上げてみたいと思います。
今回ご紹介するのは、2016年に公開され、世界中で大ヒットを記録したミュージカル映画、『ラ・ラ・ランド』です。
「え、ラ・ラ・ランド?あれってジャズの映画じゃないの?」
そう思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。確かに、主人公セバスチャンはジャズピアニストを目指し、ロサンゼルスのジャズクラブを舞台に物語が展開します。しかし、私のようなクラシック音楽の人間がこの映画を観て感じるのは、単なるジャズへの憧れや、ハリウッドの華やかさだけではない、もっと普遍的な「夢」と「音楽」への情熱なんです。
今回の記事タイトルは、「ジャズとクラシックの境界線で ―― 夢を追う者たちへの、やさしい応援歌」とさせていただきました。クラシック音楽というフィルターを通して、『ラ・ラ・ランド』の音楽が持つ、深い魅力と、私たち音楽家が共感するメッセージについて、じっくりとお話ししていきたいと思います。
クラシック音楽家から見た「ジャズ」という存在
まず、私のようなクラシック畑の人間にとって、ジャズという音楽は、どこか憧れにも似た存在なんですよ。あの即興性、自由さ、そして何よりも「スウィング」と呼ばれるグルーヴ感。楽譜に書かれた音符をい正確に再現することに重きを置くクラシックとは異なる、その場で生まれ、変化していく音楽の生命力に、いつも魅了されてしまいます。
もちろん、クラシック音楽にも即興演奏の伝統はありました。バッハやモーツァルトの時代には、カデンツァなどで素晴らしい即興が披露されていたことでしょう。しかし、現代のクラシック音楽の現場では、その機会は限られています。だからこそ、ジャズミュージシャンたちがステージ上で繰り広げる、創造性あふれる対話には、いつも羨望の眼差しを向けてしまうんです。
『ラ・ラ・ランド』の音楽は、まさにこのジャズの魅力が全面に押し出されていますよね。作曲家ジャスティン・ハーウィッツのスコアは、ジャズを基調としながらも、オーケストラの壮大さや、ブロードウェイミュージカルのような普遍的なメロディラインが融合しています。これが、クラシック音楽を普段聴いている方々の心にもすんなり入ってくる理由の一つではないでしょうか。
映画の冒頭、高速道路での「Another Day of Sun」の大規模な歌と踊り。これはまさに、クラシックのオペラやバレエのグランドフィナーレにも通じるような、祝祭的で圧倒的な音楽体験ですよね。一見するとジャズとは遠いように思えるかもしれませんが、その底流には、観客を巻き込むエンターテイメントとしての音楽の力が脈々と流れているんです。
「Mia & Sebastian’s Theme」に聴く、クラシック的な構築美
この映画の音楽で、私が特に注目したいのは、主人公ミアとセバスチャンのテーマ曲である「Mia & Sebastian’s Theme」です。この曲は、映画の中で様々な形に姿を変えて現れますよね。セバスチャンのピアノソロとして、オーケストラの演奏として、そして時には二人の心情を代弁するように、静かに、あるいは情熱的に奏でられます。
このテーマの扱い方には、非常にクラシック音楽的な構築美を感じるんですよ。
まるで、ベートーヴェンのソナタや交響曲の「主題」のように、あるいはブラームスの「テーマと変奏曲」のように、一つのシンプルなメロディが、物語の進行とともに発展し、変容していく。そして、そのたびに、聴く私たちの心に異なる感情を呼び起こすんです。
例えば、初期の、まだ出会ったばかりの二人の間には、どこかぎこちなく、しかし希望に満ちた旋律が流れます。それが、恋に落ち、夢を追いかける中で、情熱的でロマンティックな響きへと変化していく。そして、あの切ない結末では、まさに二人の「もしも」の物語を、このテーマが鮮やかに、そして悲しく描き出します。
同じメロディなのに、アレンジやテンポ、楽器の編成が変わるだけで、これほどまでに表情が変わるのかと、改めて音楽の持つ表現力の奥深さに感動させられました。これは、まさにクラシック音楽が長年培ってきた、テーマの発展技法、オーケストレーションの妙に通じるものなんですよね。ジャズの即興性とはまた違う、練り上げられた構成の美学がここにはあるんです。
ジャスティン・ハーウィッツの音楽は、ジャズの自由な روح(スピリット)と、クラシックの緻密な構築性を、見事に融合させていると言えるでしょう。
「伝統」と「革新」の狭間で揺れる音楽家の葛藤
映画の物語の中心には、セバスチャンが抱える「純粋なジャズを守りたい」という情熱と、ミアが女優としての「新しい表現を模索する」という挑戦がありました。
セバスチャンは、閉店寸前のジャズクラブを買い取り、「本物のジャズ」を提供したいと願っています。しかし、現実は厳しく、彼は生活のために、自分が理想とするジャズとは異なるポップバンドでキーボードを弾いたり、妥協を強いられる場面に直面します。この「伝統を守る」ことの尊さと、「新しい時代に合わせて変化する」ことの必要性、その間の葛藤は、私たちクラシック音楽家にとっても決して他人事ではないんですよ。
例えば、古楽の演奏家たちが当時の楽器や奏法にこだわり、楽譜に書かれた音符の裏にある真実を追求する一方で、現代の作曲家たちは新しい音色や表現を模索しています。演奏家もまた、ベートーヴェンのソナタを演奏する際に、「伝統的な解釈」と「自分なりの新しいアプローチ」の間で常に悩み、葛藤するんです。
私自身も、これまで多くの作品と向き合ってきましたが、時には「これは本当にこの作曲家が意図した表現なのか?」と深く考え込むこともありますし、また「現代の聴衆にどうすればこの音楽の魅力を伝えられるか?」と、新しい表現方法を模索することもあります。伝統を尊重しながらも、停滞することなく、常に前進し続けることの難しさと、その先にある喜びは、セバスチャンの葛藤と重なる部分が非常に多いんです。
ミアの物語もまた、表現者としての苦悩を描いています。何十回ものオーディションに落ち続け、自身の表現が理解されないもどかしさ。それでも諦めずに、自分の脚本を書き、一人舞台に挑戦する姿は、どんなジャンルの芸術家にとっても胸を打つものです。私たち演奏家も、舞台に立つまでの道のりは決して平坦ではありません。練習を重ね、コンクールに挑戦し、オーディションを受け、時には失敗も経験します。それでも、「音楽を届けたい」という一心で、表現の道を歩み続けるんですよね。
音楽が紡ぐ「もしも」の物語と、夢を追う者たちへのエール
『ラ・ラ・ランド』のクライマックス、成功を収めたミアとセバスチャンが再会し、セバスチャンのクラブでミアが耳にするピアノの音。それは、かつて二人が共に過ごした日々、そして叶わなかった「もしも」の物語を、音楽が鮮やかに、しかし切なく描き出すシーンです。
このシークエンスは、本当に圧巻ですよね。音楽が、言葉では語り尽くせない感情、時間の流れ、そして過去と現在の交錯を、見事に表現しきっています。この「音楽によって時間を操る」力、「感情を凝縮する」力は、クラシック音楽、特に交響詩やオペラのアリア、バレエ音楽といったジャンルで、古くから追求されてきた表現の極致に通じるものがあると感じました。
音楽は、私たちの想像力を掻き立て、現実にはありえない「もしも」の世界を目の前に現出させることができるんです。あのシーンでの音楽は、二人の夢が結実した未来を描きながらも、その中に潜む、もう一つの人生の選択、もう一つの可能性を、痛いほど鮮明に示していました。そして、それが単なる感傷で終わらず、大人の選択として受け入れられるまでの過程を、音楽が優しく包み込んでいるんです。
夢を追いかけることには、常に代償が伴います。成功の裏には、多くの犠牲や諦めがあることも少なくありません。しかし、それでもなお、私たちは夢を追い求めずにはいられない。なぜなら、その道のり自体が、私たちを成長させ、人生を豊かにしてくれるからだと信じているからです。
『ラ・ラ・ランド』は、ジャズという舞台で繰り広げられる、あるラブストーリーであると同時に、音楽家、そしてすべての表現者の生き様を描いた作品なんです。ジャンルは違えど、音楽が持つ根源的な力、人々の心を揺さぶる力は変わらない。そして、夢を追い続けることの美しさと、それに伴う現実の厳しさを、これほどまでに温かく、そして切なく描いた映画は他にないのではないでしょうか。
私自身も、音楽の道を選んでから今日まで、数えきれないほどの壁にぶつかり、挫折を味わってきました。それでも、ステージに立ち、音を奏でる瞬間の喜びは、何物にも代えがたいものです。この映画は、そんな私たち音楽家はもちろんのこと、それぞれの場所で夢を追いかける全ての人々への、やさしい応援歌だと、私は心から思うんです。
最後に
いかがでしたでしょうか。今回は、ジャズをテーマにした映画『ラ・ラ・ランド』を、クラシック音楽家の視点から読み解いてみました。異なるジャンルの音楽が、いかにして共通の感動を生み出すか、そして「夢」という普遍的なテーマを音楽がどのように彩るか、少しでも感じていただけたなら幸いです。
この連載も、残すところあとわずか。次回は、また違った角度から、映画とクラシック音楽の奥深い世界へと皆さんをご案内したいと思います。どうぞお楽しみに!
