映画とクラシック音楽

第50話 ベートーヴェンが消えない記憶を照らす ―― 音楽だけが脳から消えない理由

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連載50回記念!記憶の彼方で響くベートーヴェンの「運命」

真島です。この『映画とクラシック音楽』の連載も、おかげさまで今回で記念すべき第50回を迎えることとなりました。いつもお読みくださる皆様、本当にありがとうございます。連載を始めてから約5年、様々な映画とクラシック音楽の出会いについて語ってきましたが、今回はこの節目にふさわしい、非常に深遠なテーマを扱った作品を取り上げたいと思います。

今回ご紹介するのは、2004年に公開されたミシェル・ゴンドリー監督の傑作、『エターナル・サンシャイン』です。この映画は、愛する人との辛い記憶を脳から消去するサービスを利用した男女の物語。記憶を巡る複雑な心情を、独創的な映像表現で描き出していますよね。映画全体を彩るジョン・ブライオンの美しいスコアも印象的ですが、私が特に注目したいのは、記憶が消えていくその瞬間、なぜか鮮烈に響き渡るあのクラシック音楽なんです。

記憶の消去と「運命」の呼び声

映画の主人公ジョエルが、恋人クレメンタインとの記憶を脳から消去していく過程で、印象的な場面があります。それは、二人の思い出が次々と崩壊していく中で、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の冒頭、あの有名な「ジャジャジャジャーン」という動機が、不意に、そして力強く鳴り響くシーンです。記憶を司る脳の領域が次々とブラックアウトしていく中、あの音楽が、まるで消えゆく記憶に抗うかのように、あるいは何かを訴えかけるかのように鳴り響く。

あれは本当に鳥肌が立つ瞬間でした。なぜ、言葉でもなく、具体的なイメージでもなく、音楽、しかもベートーヴェンの「運命」だったのでしょうか? 映画は明確な答えを示しませんが、私たち音楽家にとっては、この選択そのものが非常に示唆に富んでいるんですよ。

記憶は、体験や感情、知識など、様々な要素が複雑に絡み合って形成されるものですよね。しかし、言葉や視覚的な情報は時に曖昧になり、時間と共に変質したり、あるいは意識的に抑圧されたりもします。ところが、音楽だけは、まるで魂に直接訴えかけるかのように、私たちの心の奥底に宿り続けることがある。この映画は、まさにその「音楽の特殊性」を突いているように思えてならないんです。

音楽家としての記憶と感情の断片

私自身も演奏家として、ある曲を弾いていると、ふとその曲を初めて聴いた時や、練習に苦労した時の情景が鮮やかに蘇ることがあります。指が勝手に覚えている、という感覚もそうですよね。あるいは、特定の曲を聴くと、まるでタイムカプセルを開けたかのように、特定の時期の感情や出来事が鮮明にフラッシュバックすることもあります。

例えば、学生時代に夢中で練習したショパンのノクターンを今弾くと、当時の不安や希望、そして甘酸っぱい恋の記憶までが、メロディに乗って蘇ってくる。それは、単に「あの頃の曲だ」という認識を超えて、当時の空気感や感情の機微までをも呼び覚ます、非常に鮮烈な体験なんです。言葉では表現しきれない、感覚的な記憶と感情が、音楽という形を得て、私たちの心に深く刻まれていることを実感します。

脳科学の世界では、音楽が記憶を司る海馬だけでなく、感情を司る扁桃体や、運動機能を司る小脳、さらにはより原始的な脳幹にも働きかけることが分かっています。言語や論理よりも、もっとプリミティブなレベルで、私たちの存在そのものに語りかけてくるのが音楽なんですよね。だからこそ、『エターナル・サンシャイン』で記憶が消えゆく脳内で「運命」が響いたのは、単なる演出以上の意味がある、と感じるんです。

ベートーヴェン「運命」――抗い難い感情の象徴

そして、なぜ数あるクラシック音楽の中から、ベートーヴェンの「運命」が選ばれたのか、という点も非常に重要です。この曲の冒頭の動機は、あまりにも有名ですよね。そして、その力強さ、迫力は、聴く者の心を揺さぶらずにはいられません。

映画の中で、記憶が消去されていく過程は、まさに自分の意思に反して、大切なものが失われていく苦痛と絶望の連続です。ジョエルは記憶を消去する道を選んだものの、その過程で、クレメンタインとの良い思い出までもが消えていくことに苦悩し、必死に抗おうとします。しかし、記憶消去は進行し、彼はその運命を受け入れるしかない。

ベートーヴェン自身も、聴覚を失うという残酷な運命に直面しながらも、音楽への情熱を失わず、内なる音を聴き、作曲し続けました。彼の作品には、運命への挑戦と、それを乗り越えようとする人間の強い意志が満ち溢れています。特に「運命」交響曲は、そのテーマを最も象徴的に表現した作品と言えるでしょう。「運命は扉を叩く」という有名な解釈があるように、あの動機は、避けられない現実、あるいは内面から湧き上がる抗い難い感情そのものを表しているようにも聞こえます。

映画でこの「運命」が流れるのは、まさにジョエルが消えゆく記憶、失われゆく愛という「運命」に直面し、もがき苦しむシーンと重なります。音楽が、記憶を消去するシステムに最後まで抗おうとする彼の無意識の叫び、あるいは、消えることのない本質的な感情の輝きを表現しているように感じられるんですよね。

音楽が脳から消えない理由

では、なぜ音楽だけが、記憶の奥底で、あるいは記憶が失われた後も、残り続ける可能性があるのでしょうか。

一つには、音楽が言語や視覚情報のように「意味」を持つだけでなく、「身体感覚」と深く結びついているからだと私は考えています。リズムは心臓の鼓動と共鳴し、メロディは感情の波とシンクロする。音楽は、私たちの身体そのものに語りかけ、細胞レベルで記憶されているような感覚があるんです。演奏家として、指が勝手に音を紡ぎ出す体験は、まさにその身体的な記憶の表れと言えるでしょう。

また、音楽は「時間」の芸術でもあります。過去から現在、そして未来へと流れゆく時間の中で、音の連なりが形作られる。この時間の流れが、私たちの記憶の形成プロセスと非常に似ているのかもしれません。特定の音楽は、ある「時間の断面」を切り取り、私たちの中に永遠に留める力を持っているんです。

映画の終盤、記憶を消去されたはずのジョエルとクレメンタインが、なぜか再び惹かれ合い、互いに惹かれ合うことを選択します。彼らの記憶は失われても、お互いを愛した「本質的な感情」は消え去っていなかった。そして、その感情を呼び覚ます触媒として、音楽が重要な役割を果たしている可能性は十分にあります。映画には明示されませんが、彼らの無意識の奥底には、共に聴いた音楽、共に過ごした時間のリズムが、深く刻み込まれていたのかもしれませんよね。

音楽は記憶の番人、感情の泉

『エターナル・サンシャイン』は、記憶とは何か、愛とは何か、そして人間にとって「忘れること」と「覚えていること」の意義とは何か、という根源的な問いを投げかけます。その問いに対して、ベートーヴェンの「運命」をはじめとする音楽が、一つの答えを提示しているように感じられます。

音楽は、たとえ意識的な記憶が失われたとしても、私たちの感情の中枢に、あるいは身体の奥底に、深く深く刻み込まれ、決して消えることのない「本質的な何か」を宿している。それは、愛の記憶であり、喜びや悲しみの感情であり、そして何よりも、私たち自身の「人間性」そのものなのかもしれません。

連載第50回という節目に、こんなにも深く、そして感動的な作品に触れることができて、私自身も改めて音楽の持つ力について考えさせられました。この連載を通して、私はずっと、映画とクラシック音楽が織りなす無限の可能性を探ってきました。今回で50回を迎えることができましたが、この旅はまだまだ続きます。これからも、映画と音楽の素晴らしい出会いを、皆様と分かち合っていきたいと願っています。

また次回、スクリーンとコンサートホールで、皆様とお会いできることを楽しみにしています。

真島でした。