瓦礫から生まれた音楽
ステージに立つたびに、私はふと思うことがあります。「この音楽が日本に根付くまでに、いったいどれほどの人たちが情熱を燃やしてきたのだろう」と。
前回は大正デモクラシーの時代、上野の音楽学校を中心にクラシック音楽が少しずつ市民権を得ていく様子をお話しました。けれども、その芽生えは突然、大きな試練にさらされることになるんです。
1923年9月1日。関東大震災です。
マグニチュード7.9の大地震は東京と横浜を壊滅させました。10万人以上の命が失われ、東京の街並みは文字通り灰燼に帰した。音楽ホール、楽器店、楽譜、そしてそれまで積み上げてきた音楽文化の多くが、一日にして失われてしまったんですよ。
私は東日本大震災の後、被災地でチャリティーコンサートに参加したことがあります。がれきの中に立って演奏した時の、あの空気感。「こんな時に音楽なんて」という気持ちと、「だからこそ音楽が必要だ」という気持ちが、胸の中でせめぎ合っていた。きっと百年前の音楽家たちも、同じような思いだったのではないでしょうか。
一人の貴族音楽家の決意
震災から三年後の1926年。東京は驚くほどの速さで復興を遂げつつありました。そんな中、ひとりの若い音楽家が動き出します。
近衛秀麿(このえ・ひでまろ)。五摂家のひとつ近衛家の出身でありながら、ヨーロッパに渡って本格的に指揮者の修行を積んだ人物です。当時29歳。肩書きや家柄よりも、ただただ音楽への情熱だけで動いていた。
彼が抱いていた夢は、日本に「本物の」常設オーケストラを作ることでした。
それまでの日本にも演奏会はあったし、オーケストラと呼べる集まりもありました。でも「常設」というのが重要なんです。毎月定期的に演奏会を開き、団員が音楽だけで生計を立てられるプロの組織。そういうものが、日本にはまだ存在しなかった。
近衛は帰国後、仲間を集め始めます。当時の東京音楽学校の卒業生たち、ヴァイオリニスト、チェリスト、管楽器奏者……。「一緒にやろう」という呼びかけに応じた音楽家たちが、少しずつ集まってきた。
新交響楽団、産声をあげる
1926年10月、新交響楽団が正式に発足します。ちょうどこの年は、昭和元年でもありました。大正から昭和へ。時代の変わり目に、日本初の常設プロオーケストラが生まれたんですよね。
第一回演奏会は翌1927年の2月。プログラムにはベートーヴェンの交響曲が並んでいました。会場は上野の奏楽堂。満員の聴衆が、固唾をのんで舞台を見つめていたはずです。
指揮台に立つ近衛秀麿の姿を想像すると、なんとも胸が熱くなる。緊張と誇りと、それから「これでようやく日本も……」という万感が入り混じった顔をしていたんじゃないかな、と。
演奏のレベルが当初から完璧だったとは言えないでしょう。でも、何かが始まった。そのエネルギーは、聴衆にも確かに伝わったはずです。
ラジオという「魔法の箱」
新交響楽団が生まれたのとほぼ同じ時期、日本にもうひとつの革命が起きていました。ラジオ放送の開始です。
1925年3月、東京放送局(後のNHK)が試験放送を開始します。翌年には社団法人日本放送協会が設立され、ラジオはあっという間に家庭へと普及していった。
これが、クラシック音楽の歴史を変えることになるんです。
それまでクラシックを聴くためには、チケットを買ってコンサートホールに足を運ぶしかなかった。つまり、ある程度の時間とお金のある人にしか聴けなかった。でもラジオは違う。家にいながら、茶の間に座ったまま、交響曲が耳に飛び込んでくる。
「なんだこれは!」という衝撃が、全国の人々の間に走ったことでしょう。初めてラジオからクラシック音楽を聴いた人の顔を想像すると、微笑ましくなってしまいます。農家の方も、商人も、子供も、みんな同じ音楽を聴けるようになった。これは本当に、すごいことだったんですよ。
音楽が「日常」になっていく
新交響楽団の定期演奏会は、ラジオ放送とともに急速にその存在感を高めていきます。演奏会に来られない人も、ラジオで音楽を聴く。ラジオで興味を持った人が、コンサートに足を運ぶ。そういう好循環が生まれていった。
この時代、銀座や丸の内にはレコード店が立ち並び、舶来のSPレコードが飛ぶように売れていたそうです。ベートーヴェンやモーツァルトの名前が、音楽専門家だけのものでなくなっていく時代。クラシック音楽がようやく「市民の音楽」になろうとしていたんですね。
私が思うに、音楽が本当に文化として根付くのは、「特別な場所で聴くもの」から「日常の中にあるもの」に変わった時なんです。昭和の初め、日本はまさにその転換点を迎えていた。
新交響楽団はその後、時代の波に翻弄されながらも、1951年にNHK交響楽団と改称し、現在も日本最高峰のオーケストラとして活躍しています。近衛秀麿が1926年に蒔いた種は、百年後の今もこうして花を咲かせているわけです。
次回予告――戦争という影
ラジオが家庭に音楽を届け、オーケストラが定期演奏会を重ね、クラシックが市民に愛される時代。しかしその一方で、日本の社会は少しずつ、暗い方向へと歩み始めていました。
次回は、昭和の軍国主義時代における音楽の運命をたどります。戦争と音楽家たち――そのジレンマと、それでも音を鳴らし続けた人たちの物語。少し重いテーマですが、この時代を避けては日本のクラシック音楽史は語れません。どうぞお付き合いください。
