映画とクラシック音楽

第44話 バッハのサラバンドが流れる老年の愛憎 ―― ベルイマン最後の映画が問うもの

バッハのサラバンドが流れる老年の愛憎 ―― ベルイマン最後の映画が問うもの

皆さん、こんにちは!「クラシックのミカタ」専属ライターの真島です。この連載もいよいよ第44話。終盤に差し掛かり、今回はちょっと特別な一本を取り上げたいと思います。イングマール・ベルイマン監督の遺作、『サラバンド』です。

この映画、タイトルからしてクラシック音楽ファンにはピンとくるものがありますよね。そう、ヨハン・セバスチャン・バッハのあの『サラバンド』が、物語の根幹をなしているんです。老いた夫婦の、剥き出しの愛憎と、人生の終着点での葛藤を描いたこの作品。そこにバッハの音楽がどう絡んでくるのか、音楽家の視点から深く掘り下げてみたいと思います。

サラバンドという音楽の深淵

まず、映画のタイトルにもなっている「サラバンド」という舞曲について、改めて考えてみましょう。

サラバンドは、元々スペイン起源の三拍子の舞曲で、ゆっくりとしたテンポ、そして特徴的な二拍目のアクセントが重厚で荘厳な雰囲気を醸し出します。バッハは、このサラバンドを彼の無伴奏チェロ組曲の中で、まさに魂を揺さぶるような深い音楽へと昇華させました。特に、映画で象徴的に用いられるチェロ組曲第5番ハ短調のサラバンドは、その中でもとりわけ内省的で、聴く者の心を深く抉るような響きを持っていますよね。

私自身、このチェロ組曲は若い頃から何度も演奏し、また聴いてきました。初めて楽譜と向き合った時、そのシンプルさの中に秘められた途方もない感情の深さに圧倒されたものです。音符は決して多くない。しかし、その一つ一つに、喜び、悲しみ、怒り、諦め、そして祈り…あらゆる人間の感情が凝縮されているかのように感じられるんです。

特に第5番のサラバンドは、調性の持つ暗さ、そしてあの独特の二拍目の「ため」が、まるで人生の重さ、後悔、そして諦めと希望が入り混じったような、複雑な感情を呼び起こします。演奏するたびに、私は身が引き締まる思いになるんですよ。一音一音に集中し、その奥にある「何か」を表現しようとすればするほど、自分自身の内面と向き合わざるを得なくなる。まさに「魂の音楽」と呼ぶにふさわしい、そんな存在だと私は思っています。

映画『サラバンド』が問うもの ―― 老年の愛と憎しみ

ベルイマン監督の『サラバンド』は、かつて夫婦だったヨハンとマリアンヌが、数十年ぶりに再会するところから物語が始まります。彼らはすでに老境に入り、それぞれの人生を歩んできたはずなのですが、再会を機に、過去の愛憎が再び燃え上がっていく。そして、ヨハンの息子や孫娘も巻き込みながら、家族というものの複雑な関係性が浮き彫りになっていきます。

この映画において、バッハのサラバンドは単なるBGMではありません。それは、登場人物たちの心の奥底にある、剥き出しの感情、老いてなお燻り続ける愛憎、そして孤独を、言葉以上に雄弁に語りかけるんです。ベルイマン作品全体に言えることですが、彼の映画では「沈黙」が非常に重要な役割を担っていますよね。言葉では伝えきれない、あるいは言葉にするのがあまりにも辛い感情が、沈黙の中に重く横たわる。そして、その沈黙を破り、あるいは沈黙に寄り添うように、バッハのサラバンドが響き渡る時、私たちはその音楽が持つ意味の重さに改めて気づかされるんです。

特に印象的なのは、登場人物がチェロを演奏するシーンです。孫娘がチェロを弾く姿、あるいはヨハンがその演奏を聴くシーン。そこで流れるのは、まさにバッハのチェロ組曲第5番のサラバンドです。演奏される音の一つ一つが、彼らの過去の記憶、現在の苦悩、そして未来への不安や希望を映し出しているように感じられます。

音楽は、彼らが口にすることのできない感情の代弁者となるんです。例えば、過去の過ちや後悔、あるいは互いへの深い愛情と同時に存在する憎しみ。これらは、言葉で表現しようとすると、往々にして陳腐になったり、逆に感情的になりすぎて本質が見えなくなったりします。しかし、バッハのサラバンドは、そうした複雑な感情を、静かに、しかし圧倒的な説得力をもって表現してくれる。その静謐さの中に、人間の生々しい感情が凝縮されている、とでも言いましょうか。

音楽が語る「生」と「死」、そして「時間」

『サラバンド』は、老いとは何か、人生の終盤で人は何を思うのか、という問いを私たちに投げかけます。過去の栄光も、失敗も、愛も憎しみも、すべてが過去となり、それでもなお、人は人を求め、傷つけ合う。そんな人間の根源的な業を、バッハのサラバンドは静かに、しかし厳しく見つめているように感じるんです。

音楽家として、私も年齢を重ねるごとに、バッハの音楽が持つ深淵さに、より一層惹かれるようになりました。若い頃には見えなかった、人生の機微のようなものが、音符の隙間から立ち上ってくるような感覚、とでも言いましょうか。特にサラバンドのようなゆっくりとした舞曲は、一つ一つの音が持つ響き、その残響の中に、計り知れない時間が内包されているように感じられます。

映画の中で、登場人物たちが過去の記憶を辿るように、音楽もまた、一度奏でられた音が消えていくまでの間に、私たちに多くのことを語りかけてきます。それは、人生というものが、常に変化し、しかし本質的には同じような感情の波を繰り返す、ということの暗示なのかもしれません。

サラバンドという舞曲の構造には、反復があります。そして、人生もまた、同じような過ちや後悔、あるいは喜びを何度も繰り返しながら、螺旋状に進んでいくものですよね。この映画は、まさにその「反復」と「変化」の狭間で揺れ動く人間の姿を、バッハの音楽と共に描いているように思えるんです。

ベルイマンは、この作品を自身の長編映画監督としての最後の作品としました。彼が人生の終わりに、なぜ「サラバンド」というテーマを選び、なぜバッハの音楽をこれほどまでに深く結びつけたのか。それはきっと、彼自身が人生の中で経験したであろう、愛と憎しみ、後悔と赦し、そして人生の普遍的な真実への問いかけだったのではないでしょうか。

音楽は人生の真実を映す鏡

『サラバンド』は、決して万人受けするようなエンターテイメントではありません。しかし、人生の深淵に触れたい、音楽の持つ力を体感したいと願う人には、ぜひ観て、そして聴いていただきたい一本です。映画を観終えた後も、バッハのサラバンドの音が、あなたの心に深く、長く響き続けることでしょう。

音楽が、時に言葉よりも雄弁に、私たちの内面にある真実を映し出す鏡となることを、この映画は改めて教えてくれます。そして、その鏡に映し出されるのは、決して美しいものばかりではないけれど、それこそが「人間」という存在の、かけがえのない姿なのではないでしょうか。

さて、次回もまた、映画とクラシック音楽の奥深い関係を探求していきたいと思います。どうぞお楽しみに!