映画とクラシック音楽

第37話 天使が聴いていた音楽 ―― ヴィム・ヴェンダースが描いた、見えない耳のための音

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連載「映画とクラシック音楽」第37話:天使が聴いていた音楽 ―― ヴィム・ヴェンダースが描いた、見えない耳のための音

皆さま、こんにちは。クラシック音楽情報サイト「クラシックのミカタ」専属ライター、真島です。この連載もいよいよ第37話。折り返し地点を過ぎ、終着点が見え隠れし始めたあたりでしょうか。皆さんとこうして、様々な映画と音楽の対話を楽しめること、本当に嬉しく思っていますよ。

さて、今回取り上げるのは、ヴィム・ヴェンダース監督の不朽の名作『ベルリン天使の詩』(1987年)です。この映画は、ベルリンの空から人間世界を見守る天使たちの物語。モノクロームの映像と、人々の心の内側の声が重なり合う、実に詩的な作品ですよね。音楽家である私にとって、この映画は「音」というものの本質、そして「聴く」という行為の奥深さを、改めて問いかけてくるような、そんな特別な一本なんです。

「天使が聴いていた音楽」――このタイトルを見て、「映画の中にクラシック音楽がふんだんに使われているのかな?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。確かに、この映画の劇伴はユルゲン・クニーパーの手によるものですが、いわゆる「クラシック音楽の有名曲が次々と登場する」というタイプではありません。むしろ、この映画の「音」は、もっと根源的な問いを我々に突きつけるんです。それは、物理的な耳を超えた、いわゆる「見えない耳」で何を聴き、何を感じ取るのか、ということ。そして、その「見えない耳」こそが、クラシック音楽を深く味わうために、私たち人間が持ち合わせているべき感覚なのではないか、というのが、今回の私の問いかけなんですよ。

モノクロームの世界で、天使は何を聴いていたのか

映画の冒頭、天使ダーミエルとカシエルは、分割されたベルリンの街を、モノクロームの視界で静かに見下ろしています。彼らには、人間の姿は見えても、色を感じることはできません。そして、彼らが聴いているのは、人々の思考の「声」なんです。街の喧騒、車の音、子供たちの笑い声……そういった具体的な「音」というよりは、人々の内側から湧き上がる願いや不安、記憶といった、形のない「思考の音」を、彼らは直接的に受け止めているように描かれていますよね。

これは、私たち音楽家にとって、非常に示唆に富む設定だと思うんです。私たちは日々、音を奏で、音を聴き、音を分析しています。しかし、音とは単なる空気の振動ではありません。音には、感情が宿り、記憶が呼び起こされ、言葉にならないメッセージが込められています。天使たちが聴いていたのは、まさにその「音の持つ意味」そのものではなかったでしょうか。

彼らは、物理的な耳で聞く「具体的な音」を、色鮮やかに認識することはありません。しかし、その分、音の奥にある「本質」を、より純粋に、より深く捉えていたのかもしれません。例えば、私たちはオーケストラの演奏を聴くとき、個々の楽器の音色やハーモニーの美しさに感動しますよね。それは素晴らしいことです。でも、その音の裏側にある、作曲家の意図、その時代の感情、演奏家たちの呼吸や情熱……そういった「目に見えない、形のないもの」をどれだけ感じ取れているか。天使たちの「見えない耳」は、まさにそうした我々の内なる聴覚を象徴しているように、私には思えるんですよ。

沈黙と、初めての「生」の音

映画の中では、天使の視点から描かれるモノクロームのシーンと、人間になったダーミエルの視点から描かれるカラーのシーンが、対比的に展開されます。天使であったダーミエルが、人間の女性マリオンに恋をし、天使であることの永遠性と引き換えに、人間になることを選ぶ。この決断は、彼にとって、色や味、そして「具体的な音」との初めての出会いを意味するわけです。いやぁ、もし私が天使だったら、どんな音から、その人生を始めるだろうか、なんて想像しちゃいますよね。多分、最初の音は、息を吸う音、心臓の音、そして、愛する人の声、でしょうか。

人間になったダーミエルが最初に体験する「音」は、マリオンの声、そして彼女が働くサーカス小屋の喧騒、そしてライブハウスで流れるニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのライブ演奏です。このライブシーンは、この映画のハイライトの一つと言っても過言ではありません。轟音と化したギター、荒々しい歌声、そして観客たちの熱狂。これこそ、天使にとっては「初めての音楽」だったのではないでしょうか。物理的な耳で、身体で、感情を伴って受け止める「生の音」。それは、彼がそれまで「思考の音」として傍観していた世界とは、全く異なる次元の体験だったに違いありません。

私たち音楽家も、日頃から生の音に触れています。コンサートホールで響くオーケストラの音、ピアニストが奏でる繊細なタッチ、ヴァイオリンの弓が弦を擦るその微かな音。CDや配信で聴く音も素晴らしいですが、やはり「生」の音には、身体を震わせるような、魂に直接語りかけるような力がありますよね。それは、天使が初めてライブハウスで体験したような、五感を通して受け止める、プリミティブな感動と共通していると思うんですよ。彼が人間になって初めて、音の「色」を見つけた瞬間だったのかもしれません。

この映画は、劇伴としてクラシック音楽を大々的に使うわけではありませんが、要所要所で、音楽的な思考を促すような静けさや、効果的な音響が散りばめられています。天使たちのモノローグは、まさに「思考の音楽」と呼べるかもしれません。言葉の抑揚、間、そして沈黙。これらは、クラシック音楽における休符やアゴーギク(速度の変化)のように、深い意味合いを持っているんです。特に、映画全体を覆うような静けさや、環境音の強調は、私たちに「何を聴くべきか」を問いかけているようにも感じられます。耳を澄ませば、日常の中にどれほどの「音楽」が隠されていることか、と。

クラシック音楽と「見えない耳」の対話

さて、ここからが、私たちクラシック音楽を愛する者にとっての重要な問いかけです。天使の「見えない耳」は、私たちクラシック音楽の聴衆、そして演奏家が、どのように音楽と向き合うべきかを示唆しているのではないでしょうか。

楽譜は、目に見える記号の羅列です。音符、休符、強弱記号、速度記号。しかし、それらはあくまで「形」に過ぎません。その形を通して、作曲家が何を伝えようとしたのか、どのような感情を込めたのか、演奏家がどのように解釈し、表現しようとしているのか。これらを「感じ取る」ためには、物理的な耳だけでなく、天使のような「見えない耳」が必要だと私は思うんです。

例えば、ベートーヴェンの音楽。彼は晩年、聴覚をほとんど失いながらも、不朽の名作を数多く生み出しました。彼が作曲していた時、実際に耳で音を聴くことはほとんどできなかったはずです。しかし、彼の内側には、誰よりも豊かで、誰よりも強烈な「音楽」が鳴り響いていたに違いありません。それはまさに、「見えない耳」の究極の形。物理的な制約を超えて、魂で音楽を聴き、創造し続けたのです。私たち演奏家も、楽譜に書かれた音を正確に奏でるだけでは不十分だと常々感じています。その音の裏にある「行間」を読み取り、作曲家の意図を汲み、自分自身の感情を乗せて、聴衆の心に届ける。その過程には、常に「見えない音」との対話があるんですよ。

また、クラシック音楽は、時代を超えて演奏され続けています。バッハモーツァルト、あるいは現代の作曲家が生み出した音楽は、単なる音の羅列ではなく、それぞれの時代の思想や文化、そして人間の普遍的な感情を内包しています。私たちが彼らの音楽を聴くとき、その「見えない背景」に思いを馳せることで、より深く、より豊かな体験ができるのではないでしょうか。それは、天使たちが人々の思考の奥底にある「願い」や「記憶」を直接感じ取っていたように、私たちも音楽の奥に隠された「魂のメッセージ」を感じ取る、ということだと思うんです。

「音」の深淵、そして人間であることの喜び

『ベルリン天使の詩』は、天使が人間になることによって、初めて「生」の喜びや痛み、そして「音」の豊かさを体験する物語です。天使として傍観していた時には、理解できなかったであろう、具体的な感情の揺れ動き。それらが、五感を通して流入する情報、特に「音」と結びつくことで、人間としての存在がより鮮明になっていく様子が描かれています。

私たち人間は、普段、当たり前のように音を聴き、音楽を楽しんでいます。しかし、天使の視点からこの世界を眺めることで、その「当たり前」がいかに奇跡的で、いかに豊かなものであるかを再認識させてくれます。一音一音、そこに込められた意味、演奏家の息遣い、そして聴衆一人ひとりの心の中で響く感情。それらすべてが、私たちの人間性を形作る大切な要素なんですよね。

この映画を観て、そして改めて「音」について深く考えてみて、私は自分の演奏や、音楽との向き合い方について、もう一度問い直すきっかけをもらいました。単に楽譜の音を追うだけでなく、その奥にある「見えない音」をどれだけ引き出し、聴衆の「見えない耳」に届けられるか。それが、音楽家としての、そして人間としての私の喜びであり、使命であると改めて感じた次第です。

皆さんも、次にクラシック音楽を聴くとき、あるいは日常生活の中で耳にする様々な音に意識を向けるとき、少しだけ「天使の耳」を意識してみてはいかがでしょうか。きっと、これまでとは違う、新たな発見があるはずですよ。音の持つ深淵な世界に、私たち人間がどれだけアクセスできるか。それが、音楽という芸術の醍醐味の一つだと、私は信じています。

さて、今回の「映画とクラシック音楽」はここまで。次回は、また新たな映画の世界へと皆さまをご案内いたします。どんな作品が登場するのか、ぜひ楽しみにしていてくださいね。真島でした。