日本とクラシック音楽の物語

大震災の灰の中から ―― 関東大震災とクラシック音楽の再生

1923年9月1日、午前11時58分

あの日のことを想像するたびに、胸が締めつけられます。関東大震災。マグニチュード7.9の大地震が、東京と横浜を中心に関東地方を壊滅させた日です。死者・行方不明者は10万人以上。帝都東京は、一夜にして瓦礫の山に変わりました。

音楽はどうなったか、と思いませんか。前回「帝都の響き」でご紹介した大正デモクラシーの時代——コンサートホールが賑わい、蓄音機から外国のレコードが流れ、クラシック音楽が市民の娯楽として根付きはじめていたあの時代——は、この震災で一度、幕を閉じることになります。

失われた音楽の殿堂

震災と、その後に発生した大火災で、東京の音楽の場は軒並み消えてしまいました。上野の東京音楽学校(現・東京藝術大学)の建物も被害を受け、日比谷公会堂はまだ建設前。民間のコンサートホールも多くが焼失しました。

演奏家たちはどこで演奏すればいいのか。聴衆はどこへ行けばいいのか。そもそも、瓦礫の中で生き延びることに精一杯の人々に、音楽の話をする余裕などあったのでしょうか。

でも、人間というのは不思議なもので、そういうときにこそ音楽を求めるものなんですよ。私も演奏家として、東日本大震災のあとに被災地でコンサートをしたことがあります。避難所の片隅でヴァイオリンを弾いたとき、泣きながら聴いてくださった方の顔が、今でも忘れられません。音楽は、人が最も辛いときに、最も必要とされる——震災後の東京でも、きっと同じことが起きていたはずです。

瓦礫の中に芽吹いた新しい音楽

震災の翌々年、1925年。日本に初めてラジオ放送が始まります。NHKの前身、社団法人東京放送局です。

これが、クラシック音楽の歴史においても、画期的な出来事でした。それまでのクラシック音楽は、コンサートホールに足を運べる人だけのものでした。でも、ラジオは違う。家にいながら、演奏を聴くことができる。震災で焼け出され、まだ仮設の住まいで暮らしていた人々の耳にも、音楽が届くようになったんです。

そして1926年——昭和元年のことです。後にNHK交響楽団となるオーケストラが誕生します。「新交響楽団」と名付けられたこの楽団は、ヴァイオリニストの近衛秀麿(このえひでまろ)が中心となって創設されました。日本初の本格的なプロのオーケストラの誕生です。

近衛秀麿という情熱

近衛秀麿という人物が、またすごい人なんですよ。五摂家筆頭・近衛家の出身で、後に内閣総理大臣となる近衛文麿の弟。いわば日本のトップクラスの貴族でありながら、ヨーロッパに渡ってクラシック音楽を本格的に学び、指揮者・作曲家として活躍した人です。

彼が帰国したとき、東京にはまだプロのオーケストラがありませんでした。山田耕筰が交響曲を書いても、それを演奏できる楽団がない。そんな状況を変えようと、近衛は仲間を集め、新交響楽団を立ち上げます。震災後の東京の廃墟に、本格的な西洋音楽の種をまき直した人物、といっていいでしょう。

演奏家として思うのですが、オーケストラというのは本当に「人の集まり」なんですよね。楽器があればいいというものではなく、同じ志を持った奏者が集まり、指揮者を中心に一つの音楽を作り上げる。震災直後の混乱した東京で、それをゼロから組織した近衛秀麿のエネルギーは、想像を絶します。

焼け跡から世界水準へ

新交響楽団の結成から間もなく、日比谷公会堂が完成します(1929年)。東京が再建されていくなかで、音楽の場も少しずつ整っていく。ラジオ放送はますます普及し、クラシック音楽は家庭の中に入り込んでいきます。

大震災は確かに、大正の黄金時代に終止符を打ちました。しかし同時に、まったく新しい形でクラシック音楽が根付いていくための土台を、皮肉にも用意することになったんです。プロのオーケストラ、ラジオ放送、再建された公共ホール——。この三つが揃ったとき、日本のクラシック音楽はいよいよ次の段階へと進んでいくことになります。

そしてその先には、昭和という時代が待っていました。華やかな文化の発展と、やがて訪れる暗い影——。次回は、その光と影の時代を歩いていきましょう。