日本とクラシック音楽の物語

翼を得たオーケストラ ―― 昭和の開幕と新交響楽団の誕生

時代の狭間に生まれた楽団

大正15年(1926年)の秋、ひとつのオーケストラが東京に産声を上げました。「新交響楽団」――のちにNHK交響楽団へと姿を変え、今日まで日本を代表するオーケストラとして君臨する団体の、その前身です。

この年は、日本が大きく息を呑んだ年でもありました。大正天皇が崩御され、昭和という新しい時代の幕が上がった。まるで時代の境目を音楽が橋渡しするように、新交響楽団は誕生したんです。歴史の教科書には載らない偶然の一致ですが、音楽を愛する者としては、何か意味を感じずにはいられません。

演奏家たちの情熱から生まれた楽団

新交響楽団が生まれるきっかけは、演奏家たちの「もっとよい音楽を届けたい」という純粋な思いでした。当時の東京フィルハーモニー会に在籍していた演奏者たちが中心となり、より高い水準の演奏活動を目指して新たな楽団を結成したのです。

私も演奏者の端くれとして、この気持ちはよくわかります。どんな時代であっても、音楽家というのは「もっと良い音を鳴らしたい」「もっと多くの人に届けたい」という欲求から離れられないんですよね。それが時に組織の壁を越えて、新しいものを生む原動力になる。百年前の先輩たちも、きっと同じ衝動を胸に抱えていたはずです。

近衛秀麿という存在

新交響楽団の発展を語る上で欠かせないのが、近衛秀麿(このえ・ひでまろ)という人物です。五摂家のひとつ近衛家の生まれでありながら、ベルリンで音楽を学んだ異色の経歴の持ち主。帰国後は新交響楽団の指揮者・組織者として、日本のオーケストラ文化の水準を一気に引き上げていきました。

「華族がクラシック音楽を振る」というだけで当時は話題になったでしょうが、近衛の音楽への情熱は本物でした。彼はヨーロッパで最先端の演奏スタイルを身につけ、そのエッセンスを丸ごと日本に持ち込んだのです。旧来の「お稽古ごと」としての洋楽ではなく、プロフェッショナルな演奏芸術として根付かせようとした。そのビジョンの大きさは、今振り返ってみても驚くほどです。

昭和という時代の空気と音楽の渇望

昭和初期は、日本社会全体が複雑な緊張をはらんでいた時代でした。世界恐慌の波が日本にも押し寄せ、政治的には不安定な空気が漂っていた。満洲事変が起きたのも昭和6年(1931年)のことです。

それでも――あるいはだからこそ、音楽への渇望は強かったのかもしれません。コンサートホールに足を運ぶ人々の顔を想像してみてください。日々の重さを忘れるように音楽に耳を傾けた人々を。ベートーヴェンの交響曲、ブラームスの協奏曲――ヨーロッパの音楽が東京のホールに響くとき、そこには一種の「夢の空間」があったはずです。聴衆もまた、音楽を切実に求めていた。

ローゼンシュトックが刻んだ足跡

当時の日本のオーケストラ事情において、海外からの指揮者や演奏家の存在は非常に大きなものでした。新交響楽団にも、ドイツやオーストリアから著名な指揮者が招かれ、演奏水準の向上に貢献していきました。

中でも常任指揮者を務めたヨーゼフ・ローゼンシュトック(Josef Rosenstock)は特に重要な存在です。彼は1936年から1941年まで楽団を率い、その在任中に新交響楽団の技術的・芸術的水準を飛躍的に高めました。ヨーロッパ仕込みの厳格なリハーサルと妥協を許さない音楽観が、日本の演奏家たちを鍛え上げていった。彼が去った後も、その薫陶は楽団の中に生き続けたといいます。

ユダヤ系のローゼンシュトックがナチスの迫害を逃れて日本に渡ってきたという事実も、時代の複雑さを物語っています。迫害された者が異国の地で音楽を育てた――その皮肉な、しかし深く人間的な物語に、私はいつも胸が熱くなるんです。

音楽と時代の狭間で

しかし昭和の時代は、やがて音楽にとっても試練の季節を迎えることになります。軍国主義の波が押し寄せるにつれ、「敵性音楽」という言葉が生まれ、英米の音楽は演奏しにくくなっていく。プログラムから曲名が消え、作曲家の名前が伏せられることもあったといいます。

それでも音楽家たちは鳴らし続けました。制約の中で、できる限りの音楽を届けようとした。その姿勢は、どんな時代も変わらない音楽家の本能のようなものかもしれません。今の私が舞台に立つとき、時々そんな先人たちのことを思います。どんな状況の中でも弓を持ち、鍵盤に指を置き、管に息を吹き込んだ人々のことを。

次回へ――戦時下の音楽たち

新交響楽団の誕生は、日本におけるオーケストラ文化の本格的な幕開けを告げるものでした。しかしその幕は、まもなく歴史の大きな嵐に揺さぶられることになります。

次回は、戦争という時代の中で日本のクラシック音楽がどう生き延び、どう変容していったかを探っていきたいと思います。音楽と国家、音楽家の良心と時代の圧力――そのせめぎ合いの中に、私たちが今も受け継いでいる何かがあるような気がしてなりません。