映画とクラシック音楽

第14話 広島から届いた、壊れたピアノの声 ―― 日本人として、この音を聴いてほしい

広島から届いた、壊れたピアノの声 ―― 日本人として、この音を聴いてほしい

「クラシックのミカタ」をお読みの皆さん、こんにちは。連載「映画とクラシック音楽」、第14話をお届けします。

さて、今回取り上げる映画は、これまでご紹介してきた作品群とは少し趣が異なるかもしれません。2021年に公開された『8月のシンフォニー 被爆ピアノ』。このタイトルを聞いて、一体どんな「シンフォニー」が奏でられるのか、興味を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私はこの映画を観て、音楽家として、そして何より日本人として、深い感動と、胸を締め付けられるような切なさを覚えました。

この映画は、広島に投下された原子爆弾によって被災しながらも奇跡的に残り、修復されて現代にその音を響かせ続けている「被爆ピアノ」を巡る物語です。映画のあらすじを詳しく語るよりも、今回はこの「被爆ピアノ」が奏でる「音」に、私たち音楽家がどう向き合うべきか、そしてその音が何を私たちに語りかけてくるのか、深く掘り下げてみたいと思います。

「壊れた音」が宿す、歴史と魂の響き

私たちは普段、完璧な調律とメンテナンスが施された楽器で演奏し、理想的な響きを追求していますよね。しかし、被爆ピアノの音は、一般的な意味での「完璧な音」ではありません。調律師の方々が丹精込めて修復しても、爆風と熱線にさらされた楽器のダメージは計り知れません。木材は歪み、金属は変質し、その構造そのものに深い傷を負っています。だからこそ、その音には独特の「歪み」や「かすれ」、そして「重み」があるんです。

初めて被爆ピアノの演奏を耳にした時、私はまずその音色に衝撃を受けました。通常のピアノが持つ、豊かで煌びやかな響きとは明らかに違う。一つ一つの音が、まるで何かを語りかけるように、強く、深く、胸に響いてくるんです。それは単なる不協和音や劣化からくる音ではなく、何十年もの時間を超えてきた、まさに「歴史の響き」とでも言うべきものでした。

ピアニストの皆さんならよくご存じだと思いますが、ピアノという楽器は、ハンマーが弦を叩き、その振動が響板全体に伝わり、そして空気中に放たれることで音となります。被爆ピアノの場合、そのすべての工程において、楽器が被った甚大なダメージが影響しているはずです。弦を叩くハンマーのフェルト、それを支えるアクション、そして音の出口である響板。それら全てが、あの悲劇の瞬間を記憶しているかのようです。

その音は、時に乾いていて、時に深く沈み込み、時には軋むような悲鳴にも聞こえます。しかし、その不完全さの中にこそ、私は完璧なまでのメッセージを感じるんですよ。それは、人間の命の尊さ、平和への切なる願い、そして決して忘れてはならない記憶。音という形を借りて、魂が語りかけてくるような、そんな感覚に襲われるんです。

音楽家として、この音にどう対話するか

私たち演奏家は、楽器と対話し、その楽器が持つ可能性を最大限に引き出すことを常に考えています。ストラディバリウスのヴァイオリンや、古い銘器と呼ばれるピアノが持つ独特の響きに、私たちは畏敬の念を抱き、その楽器の歴史や、過去の名演奏家たちが奏でたであろう音色に思いを馳せますよね。被爆ピアノもまた、そうした歴史を持つ「銘器」の一つだと言えるでしょう。

しかし、被爆ピアノとの対話は、一般的な銘器とのそれとは全く異なる深さがあると感じます。もし私が被爆ピアノを演奏する機会に恵まれたとしたら、まず何よりもその「音そのもの」に耳を傾けるでしょう。どのようなタッチで、どのような強さで、どのような呼吸で弾けば、このピアノが最も素直に、そして雄弁に語りかけてくれるのか。通常のテクニックや表現論を超えたところで、楽器そのものが持つ「声」を聴き取ろうと努めるはずです。

そして、その音の「歪み」や「不完全さ」を無理に矯正しようとはしないでしょう。むしろ、それらをこのピアノが背負ってきた歴史の一部として受け入れ、その音色に込められたメッセージを、私自身のフィルターを通して、聴衆に伝える責任があると感じます。それは、単に楽譜に書かれた音符を演奏する以上の、魂と魂の交感のような営みになるはずです。演奏家としての技術や表現力はもちろん大切ですが、それ以上に、人間としての共感力や、歴史に対する深い理解が求められる、非常に重い役割だと感じますね。

「シンフォニー」に込められた意味

映画のタイトルにある「シンフォニー」という言葉にも、私は深く考えさせられました。「シンフォニー」とは、もともと「共に響き合う」という意味を持つギリシャ語「συμφωνία(シュンポニア)」に由来します。複数の楽器が一体となって壮大な音楽を織りなす交響曲を指すわけですが、この映画における「シンフォニー」は、単なる音楽的な意味合いを超えているように感じます。

被爆ピアノの音が、多くの人々の心に響き渡り、過去と現在、そして未来をつなぐ。それは、あの悲劇を経験した人々の声、平和を願う人々の祈り、そして未来を生きる子供たちの希望が、一つの大きな響きとなって「共に響き合う」姿なのではないでしょうか。被爆ピアノを修復し、演奏し、その音を届ける活動をしている人々。その音を聴き、心を動かされる人々。そして、映画を通してその物語を知る私たち。

それぞれの想いが交差し、共鳴し合うことで、目には見えないけれど、確かに存在する「平和のシンフォニー」が奏でられているんですよ。それは、特定の作曲家が書いたスコアに基づいているわけではありません。しかし、そのメッセージの普遍性と力強さは、どんな壮大な交響曲にも劣らないと私は感じています。

クラシック音楽のシンフォニー作品も、多くはその時代の社会情勢や作曲家の内面を映し出す鏡であり、時に社会への問いかけや、希望のメッセージを込めて作曲されてきました。ベートーヴェンの第九が「歓喜の歌」によって人類愛を歌い上げるように、被爆ピアノが奏でる「8月のシンフォニー」は、人類が経験した最も悲劇的な出来事から生まれ、平和への強い願いと生命の尊さを歌い上げているのだと思います。

音の継承、心の継承

被爆ピアノの活動は、単に「古いピアノを修理して音を出す」というだけではありません。それは、戦争の記憶を風化させず、平和の尊さを次の世代へと語り継いでいくための、非常に大切な「継承」の営みです。音は、言葉を超えて人々の心に深く刻み込まれる力を持っていますからね。

特に、子供たちが被爆ピアノの音に触れ、その背景にある歴史を知ることは、教科書で学ぶだけでは得られない、五感を通じた貴重な経験となるでしょう。彼らがその音を聴き、何を感じ、何を考えるのか。その一つ一つの体験が、未来の平和な世界を築くための、かけがえのない礎となるはずです。

私たち音楽家も、自らの演奏を通して、過去の巨匠たちの作品を現代に蘇らせ、その精神を継承しています。被爆ピアノの活動もまた、同じように、歴史の重みを背負った「音」を媒介として、平和という普遍的な価値を継承していく、崇高な役割を担っているんですよ。

日本人として、この音を聴いてほしい

この映画を観て、そして被爆ピアノの音に触れることは、私たち日本人にとって、自らの歴史と向き合い、未来への責任を再認識する貴重な機会となります。広島と長崎の悲劇は、決して遠い過去の出来事ではなく、今もなおその影響が残り、私たちに語りかけ続けているということを、被爆ピアノの音は教えてくれます。

私はこの音を、多くの人に聴いてほしいと心から願っています。そして、その音が何を語りかけているのか、それぞれが心の中で感じ、考えてほしい。それはきっと、私たち一人一人の内側にある、平和への願いを呼び覚まし、世界を見る目を少しだけ変えてくれるはずです。音楽には、そういう力があると、私は信じていますから。

映画『8月のシンフォニー 被爆ピアノ』は、私たちに、音を通じて歴史を、そして平和を考える機会を与えてくれました。ぜひ、皆さんもこの映画を観て、その音に耳を傾けてみてくださいね。

さて、次回はまたガラリと雰囲気を変え、華やかな舞台裏に迫るあの名作について語っていきたいと思います。どうぞお楽しみに!